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石都岡崎・3つの理由

 
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銘産地

石材産業が発展するためには、多くの条件が必要です。
第一は、良質の石がたくさん採れること。

全国の各地には、花崗岩や大谷石をはじめとする硬くて良質の石が現在も採掘されています。その中でも、岡崎は良質な花崗岩が豊富に採掘されるところなのです。

戦国武将と石職人たちの出会い

岡崎の石材産業の歴史は、400年といわれています。400年前と言えば戦国時代。まさに、築城全盛期。全国の武将たちは、我も我もと築城を始めます。

田中吉政が城主となり岡崎城を手掛けた時、全国の石の産地から優秀な石職人たちを呼び集めることになったのです。

城ができれば、城を中心に城下町の整備も急がねばなりません。石垣や堀、ここでも、石職人たちは大忙し。城下にはなくてはならぬ大切な職種として扱われ、石職人たちの地位を向上させました。

自然の利が石材産業を支える

石材産業の発展は、良質の石が手に入るだけでなく、もうひとつ大切な条件が必要でした。

山で切り出した石は様々な加工が施され、船によって各地に送られます。
つまり、良い石が採れ、容易に運搬ができたことも発展の要因として見逃せません。

「良質な石が採れる山に囲まれ、海に近いこと」この恵まれた地形が岡崎だったのです。

石都岡崎へ

東海道の宿場町として栄えた岡崎は、人の往来も多く、また諸大名が岡崎の石製品を徳川家に関係のある神社仏閣に上納することなどもあり、石工業は領主や寺院の保護とあいまって、順調に発展を続けました。

石屋の数も享和年間(1802年)に29軒であったものが、明治17年には、約50軒と年々多くなり、岡崎石匠組合が設立され、ピーク時は、350軒を数える時もありました。

戦後の混乱は、石材産業も例外でなく、生産が低下しましたが、生活にゆとりができるとともに、墓碑、燈篭、建築、装飾品などの生産が盛んになり、名実共に全国一といわれ、石都岡崎の名も不動のものとなりました。

戦後の混乱は、石材産業も例外でなく、生産が低下しましたが、生活にゆとりができるとともに、墓碑、燈篭、建築、装飾品などの生産が盛んになり、名実共に全国一といわれ、石都岡崎の名も不動のものとなりました。

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